放送作家の見聞録!

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放送作家について

1962年生まれ。熊本県出身。「夢で逢えたら」、「笑う犬シリーズ」など数々の伝説的コント番組に参加。現在も「サラリーマンNEO」や「祝女」、「爆笑レッドシアター」を手掛けるなど、日本のバラエティー界には欠かせない人物の一人。

Q...この業界に入ったきっかけを教えて下さい

高校を卒業して、横浜の大学に入った2年後、従弟であるウッチャンナンチャンの内村光良君(以下ウッチャン)が横浜の映画専門学校に入学したんです。それで、同じ横浜ということもあって、同居することになりました。ウッチャンの学校で漫才の授業があって、それの発表会があるってことで相方の南原清隆君(以下ナンチャン)が家に来てネタを作るようになりました。 その頃、僕も大学生で暇を持て余していたんで、次第に二人のネタ作りに口を出すようになっていったんです。 専門学校を卒業したウッチャンナンチャンが「お笑いスター誕生」で優勝して、それをきっかけにテレビからオファーが来るようになって、ミーハーだった僕は二人のマネジャーでもないのにテレビ局について行ってました。ちゃんと紹介されるわけじゃなかったし、きっと周りの人は心の中で「コイツ誰だ?」って思ってたと思います(笑) そうやってテレビ局に足を運んでる中で、作家という仕事があるのを初めて知りました。 その頃の僕は大学を中退して将来のことを何も考えていなかったし、次第に作家で食べていければいいな~、と思うようになりましたね。

Q...作家になったときのご両親の反応はどうでしたか?

放送作家として初めて参加したのは「笑いの殿堂」(フジテレビ)という番組でした。 この仕事(放送作家)って、何をしているのか説明しづらいじゃないですか。 だから両親もずっと分かってなくて、フジテレビで仕事をしてるって言ったら、フジテレビの社員と勘違いしてましたね。 それに、この番組は関東ローカルだったので、地元の九州には映ってなかったんです。 だから最初は作家をやっていると言っても信じてもらえなかった(笑) でも、その後「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)に参加させてもらってやって、スタッフとして名前が出たときに、ようやく親を安心させることが出来ました。

Q...作家をやっていて良かったと思うことは何ですか?

自分が昔から憧れていた人に会えたときはやっぱり嬉しいですね。あと、ずっと見ていた番組のパロディをやったときに、その番組に出ていた人が本人役として登場してくれたことがあったんです。そのときは本当に感動しました。これ以上ない喜びでしたね。

Q...作家をやっていて辛いことは何ですか?

やっぱり保証が無いことですね。ほんとに、ある日突然レギュラー番組が終わったりする世界ですから。それは別に視聴率が悪いだけでは無くて、色んな理由があるんです。 タイミングによっては複数の番組が一気に終わることもあり得る。 でも、こればっかりはどうすることも出来ない。凄い視聴率があって、勢いに乗ってる番組をやっているからといって、それは永遠ではないですし。だからず~っと不安ですね。